フィリピンの留学して学んだこと!
こんにちは、安全第一のエイジです。
今日は、フィリピンについて書いていきます。
僕は大学1年の春休みにフィリピンに留学していて経験があり、この経験を元に書いていきます。
まず、日本は先進国でフィリピンは途上国ということを頭に入れて置いて下さい。
簡単に、先進国と途上国について説明します。
先進国は、経済や社会の問題の開発度合いが世界の「先」を行っている国
途上国は、経済や社会の開発度合いがまだ「途中」、つまり十分ではない国
簡単に説明すると以上になります。
さて、本題に移ります。
フィリピンで自分が1番強く思ったのが、危険!って思いました。
理由は、日本は歩行者優先で通行人がいたら車が止まって、歩行者を行かせてくれます。ですが、フィリピンでは車は歩行者のがいようとも止まってくれません。
歩行者は、車の間を隙をみて渡らなければなりません。
僕は最初それがとても怖くとてもビビりながら渡っていました。
あと、労働環境が印象ときでした。
現地の人の話を聞く機会が何回もありその人達の話を聞き思いました。
ぶっとうしの16時間勤務。妊婦さんでも外の気温40度近くてもエアコンなしで勤務。
働いた時間の半分しか給料は支払われない。など
このように日本だと裁判沙汰になることが日常的に行われています。
なぜ、このように企業は社員に対して悪質なことをしても責任が追われないか。
企業が政府にお金を渡してこの問題を政府は目をつむっているからです。
働いている人も貧困の方が多く今の会社を辞めたら次いつ就職できるか分からず
辞めたくても辞めれない状況なのです。
この状況を許しているのがドゥテルテ大統領です。
ドゥテルテ大統領で有名の「麻薬戦争」についても書いていきます。
ドゥテルテ大統領は選挙のときに麻薬売人や中毒者の10万人を殺害して違法薬物を一掃する公約を掲げて選挙を圧勝しました。
ですが、ドゥテルテ大統領は警官に扇動や奨励をして麻薬を取り扱っていない一般人の人までもが殺害されるのが常態化している。
疑惑を掛けられるだけで殺害されることもあり、また警官は殺害の罪に問われたりしない。
警官の殺害によって最も幼い犠牲者がでた。3歳児が殺害された。
父親に麻薬密売の疑いがあり、警官が家宅捜査をしてその際に放った銃弾が子供に当たり亡くなった。
警察側は、父親が子供を盾にしたと主張している。
被害者の家族は被害ばかり受けているだったが、
ICC(国際刑事裁判所)は、フィリピンの麻薬戦争に対して公式に申し立てをした。
調査が実現したら数千人の犠牲者の家族に画期的の一歩になる。
現地の人も警官の殺害の常態化に恐れているのではやく改善してくれるのを願っている。
「これを読めば完璧」スラムダンクのあらすじ
みなさんこんばんは、安全第一のエイジです。
今日は、スラムダンクについて書きたいと思います。
スラムダンクは日本漫画の代表作の1つでしょう。
僕もこの漫画に影響されバスケを習い始めようとも思いました。ですが僕は、喘息持ちで体育館でのスポーツはドクターストップがかかってしまいました。
あの時に、始めていたら今頃はNBAで活躍しているんじゃないかと思うととても悔しいです。(嘘)
スラムダンクは、井上雄彦さん作のバスケ漫画です。1990年10月に連載スタートして1996年6月に連載終了した作品です。
つまり24年前の漫画ですね、24年前の漫画が未だに人気なのはスラムダンクだけなのではないかと思います。
そして最近、スラムダンクファンが大喜びするビックニュースが舞い込んできました。
それは、2022年秋、「スラムダンク映画公開」なのです。このニュースに興奮して夜しか寝れなかったです。
24年前に終えて漫画が再びやってきたのです。
みなさんにもこの映画を楽しんで貰うために、スラムダンクのあらすじを書きたいと思います。
主人公、桜木花道は中学生時代に50人の女の子に振られて、湘北高校では彼女を作ると意気込んで入学します。
そして、同学年の赤木春子に一目惚れします。
花道は、春子にバスケ部誘われて、ルールも全く知らないまま入部します。
初心者でルールも全く分からないく、練習も地味なものばかりでした。キャプテンの赤木剛憲の厳しい指導にもうんざりしていました。ですが、同学年も流川楓に対抗心を燃やして徐々に成長していきます。
そして、練習試合や厳しい練習を乗り越えて夏のインターハイ予選に挑もうとします。
予選前に昔の強力なメンバーも加入してくれます。2年の宮城リョータと3年の三井寿が加入してくれます。
宮城リョータは、暴力事件を起こして部活を離れていました。
三井寿は中学時代で天才シューターだったが、怪我をして不良になりバスケから離れていたがバスケに対する想いが捨てきれずに、再びバスケ部に戻ってきました。
これで、バスケ部は万全な状態になりインターハイ予選に挑みます。
インターハイの決勝リーグまで、順調に進みました。
ですが、花道は毎試合5ファールをして退場することに悩んでいました。
決勝リーグ、初戦は16年連続インターハイ出場校の海南高校が相手です。
強敵であれば実力以上の力を発揮する花道に対して堅実な選手、宮益をマッチアップさせます。初心者がある故に経験不足がでてしまい、対処ができずに一旦ベンチに下げられます。
赤木も怪我でコートを離れていますが、エースの流川が奮闘して、差をどんどん縮ませます。そして、赤木も花道も戻ってきてチームも勢いがついていきた、矢先に花道がパスミスをしてしまい僅差で敗北します。
花道は、反省の意を込めて丸坊主にします。監督の安西先生は、チーム力を挙げるために、花道にゴール下のシュートを練習するように指示をだします。
もう1敗も許されない湘北高校は2回戦の武里戦に挑みます。花道は、ゴール下の練習し過ぎて、遅刻をしてしまいます。ですが、花道抜きで武里戦に快勝。
残された綾南戦。綾南も湘北高校と同じ、海南に負けて武里には勝利しています。
つまり、勝った方がインターハイ出場のチケットを獲得することができます。
ここで、湘北高校に予想もしないアクシデントが起きてしまいます。
監督の安西先生が倒れてしまい入院してします。綾南戦は、監督抜きの戦いになります。
綾南高校は、練習試合で1回敗北しているのでリベンジマッチでもあります。
綾南戦での前半、赤木は前回の怪我で試合に集中できずに点差がどんどん開きます。
そんな赤木に花道は、頭突きをして試合に集中させます。
後半は、前半で体力を温存していた流川が爆発的な活躍を見せ、花道も練習したゴール下のシュートでどんどん活躍をみせて得点も縮みます。
綾南も湘北の不安要素をついた戦法で追い上げますが、湘北は、桜木の活躍と三井に変わって入った3年の小暮選手の活躍僅差で勝利することができました。
インターハイ出場のチケットを獲得することが出来て、安西監督に最高のお土産を持ってくことが出来ました。
インターハイ出場にすることが決まり、流川は「日本一の高校生になる」と目標を掲げて練習に挑み、花道はジャンプシュート習得するために2万本打つなどして、確実にチームは、力を付けていきます。
インターハイの初戦は、大阪2位の豊玉高校。前日にいざこざがありながら迎えた当日、相手の挑発に乗り思うようなプレーができません。花道も練習したジャンプシュートは、観客席までボールを飛ばしてしまい一旦、ベンチに下げられます。流川も相手のエース南のラフプレーにより左目を負傷しててしまい、前半はリードされたまま終えました。
後半に突入するときに流川に入り、エースの意地をみせて得点差を縮めて花道も練習したジャンプシュートの成果を発揮して得点差を縮めます。
そして豊玉高校のエース南は流川を怪我した罪悪感から不調に陥り、チームは内部分裂します。
ラスト、豊玉高校は一致団結して本来の力を取り戻すことができて猛追が始まりますが、湘北高校は逃げ切ることができて見事勝利します。
湘北高校無事1回戦突破!
続いての2回戦の相手は、インターハイ3連覇中の絶対王者、山王工業です。
去年は海南に30点差で勝利している、最強高校です。
前半は、先手、先手で攻めていきます。
開始直後も宮城と花道がアリウープを決め、相手の動揺を誘います。
ですが、相手のキャプテン深津は、落ち着いておりしっかり取り返します。
その後は、三井中心で攻めていき三井も絶好調で作戦がはまり3Pが連続で決まり、王者相手に互角に戦うことができています。
日本一の高校生との呼び声が高い相手のエース沢北は、集中力が散漫で一旦ベンチに下がります。その際に、湘北高校のエースの流川もベンチに下げ、体力を温存させます。
相手が代わりに入れて生きた河田(弟)は、2メートルを超える巨体でマッチアップは花道です。
初めは、経験のない大きさとパワーで圧倒されます。ですが、花道の運動神経が河田(弟)が追いつけなく次は、花道が圧倒します。
結果、前半は2点リードで終えることができました。
ですが、絶対王者の怖さは後半からでした。
後半の開始、山王はゾーンプレスを仕掛けてきて湘北は、このゾーンプレスに対応できずに一気に24点差も広げられます。
安西先生は、花道をベンチに下げてリバウンドの重要性を教えます。
花道は、コートに戻り「ヤマオーは俺が倒す」と観客に向かって公言します。
花道のこの言葉で会場は、ざわめきましたが湘北高校は落ち着いた雰囲気を取り戻すことができ、試合に戻ります。
そして、花道はリバウンドを何度も取り自分達の攻撃を連続して攻撃でき、またリバウンドを花道が取ってくれると安心感からチームメイトは自信を持ってどんどんシュートを打つことができ、結果良く入ります。
点差を10点差に縮めることができます。
山王は、花道にゴール下の要の河田(兄)をマッチアップさせます。
花道は、持ち前のリバウンド力を抑えられ、相手のエース沢北も本気を出して再び差が開き始めます。
19点差まで差が開いてしました。
湘北のエース流川は、持ち前の個人技で沢北に勝とうとするが手も足もでません。
ですが、流川は自分に相手を引きつけて味方にパスを出す新しいスタイルで得点を重ねていきます。
沢北の頭にも流川がパスを出すという意識が付き、後手に回り流川が沢北に互角以上の活躍をみせます。
湘北が追い上げムードのときにボールが宮城に足に当たり外に出そうになったときに
花道が、飛び込みボールを繋ぎます。
だが、花道はこのときに背中に違和感を感じました。
この痛みは、どんどん痛くなりプレーができなくなるほどでした。
安西先生は、花道をベンチに下げました。
花道はベンチで回復に努めますが、とてもプレーができる状況でありませんでした。
ですが、花道はボロボロの体で強引に再びコートにたちます。
ボロボロの花道を狙い花道がブロック!
こぼれたボールを宮城と流川が拾って、ゴールに向かって一直線で走り始めます。
そして宮城は、自分か流川かどちらでゴールを決めるかと相手も迷っているとき宮城はパスを出しました。
三井に!
後ろから三井が走ってきていて、そこで3Pシュートを打つフェイクを入れて相手のファールを誘いました。そこでファールを貰いながらシュートを決めて、4点差決めました。
差は1点差。
そして残り時間40秒、山王が最後の攻めで河田(兄)がシュート、そこで赤木がブロック!
こぼれ球を拾ったのは、、、
沢北!
そこでシュートを打った。
そのボールを再びブロックしたのが花道!
ボールは湘北に渡り、流川がゴールを決めて見事逆転
残り時間20秒。試合は湘北高校の勝利かと思われたが、王者山王は動じずエース沢北の得意なシュートコースにパスを出し、逆転仕返す。
残り時間8秒、時間がない湘北は流川にボールを託して、ゴールまで走りシュートを打とうとするがここで、相手がブロックに飛んできた。
流川は、シュートコースを塞がれたが流川の目に花道が映ります。
「左手はそえるだけ」と言葉を放ちきれいな放物線を描き、ゴール。
この瞬間に試合終了に笛が鳴り、湘北高校の勝利
激闘を制し見事絶対王者に勝利した湘北高校だが、続く3回戦は力を使い果たし愛和学院にボロ負けした。
その後、赤木、三井、小暮は卒業し宮城が新キャプテンになり、流川は全日本ジュニアの練習に参加して、花道は背中のリハビリに努めるシーンが描かれ
物語は終わりを迎える。
この伝説のバスケ漫画が2022年秋にどの場面が映画化されるかは、まだ未定だが映画を観たらまた記事にしようと思う。
ソフトテニスってなんぞや?
こんにちは、安全第一のエイジです
今日は僕の趣味であるソフトテニスについて書いていきます。
まず、ソフトテニスと硬式テニスの違いって?なんぞやとなりますよね。
ルールはほぼ同じなのですが、1番大きな違いは試合時間だと思います。ソフトテニスの1試合は硬式テニスの1ゲームなのです。つまり硬式テニスの試合時間、約3分の1がソフトテニスです。
なので、ソフトテニスは気を抜いているとあっという間に負けて、試合が終わったりします。
逆に、言えばどんな相手でも、どんな状況でも勝てる可能性があるということです。
この試合短さがソフトテニスの大きな特徴です。
ソフトテニスは、日本発祥のスポーツ今ではアジア圏で人気が高いスポーツです。
中学生、高校生に人気のスポーツで、中学生で1番人口が多い部活で、ソフトテニスと言われています。
ですが、多くの人が大学生、社会人になったらソフトテニスから離れていきます。離れていく人で最も多い理由が「お金を稼げない、プロがいない」という理由があります。これらの理由でソフトテニスを続ける人がとても少なくなっていました。
また、ゴムボールを使われているから強風だと試合が難しい。試合時間があまりにも短い。(短いときだと10分切るときも)得点板がないから得点がわかりにくく観戦しにくい。トップ選手の試合動画を観ても白色のボールを使われていてボールが観戦しにくい。という声もあります。
その結果、ソフトテニスはマイナースポーツと呼ばれて、オリンピックス種目に追加されていません。
ですが、2019年にソフトテニス界に初めてのプロソフトテニス選手が誕生しました。船水颯人選手です。100年以上の歴史で初めて誕生しました。今では何人かのプロ選手が船水選手に続いて誕生しています。多くの人がプロに名乗りを上げてきて今、ソフトテニスのプロに対する定義が確立されていないが故に賛否両論の声が見られます。
(今なら自分もプロを狙えるのではないのか、まぁそんな実力はないんだが笑)
また、今ではYouTubeにソフトテニス連盟の人が試合を載せてくれています。観戦しやすく白色のボールではなく、水色のボールを使ったり。得点板を使ったり。屋内のコートで大会を行ったり、試行錯誤しています。
これらを踏まえてもソフトテニス界は盛り上がっているんではないかと思います。
自分の好きなスポーツがいち早くオリンピック種目に追加されて早く観戦したいです。
そしてどんどんソフトテニスの可能性を信じて挑戦していって欲しいです。
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初めまして。安全第一のエイジです。
僕は、今大学4年生の学生です。ありがたいことに内定を頂くことができて、就職まで、バイト、遊ぶの繰り返しの生活で、暇を持て余す生活を送っていたので、自分が成長できることをしようと思い、ブログを開設しました。
僕の自己紹介を今日の記事で書いていきます。
僕は愛知県生まれの愛知県育ちです。僕は、小学生から高校生までソフトテニス部に所属しており、毎日ボールを打っていました。
僕は、少年漫画が好きで幼い頃から漫画を読み漁っていました。ONE PIECE、スラムダンク、ナルト、テニスの王子様などを読んでいました。
ソフトテニスを初めたきっかけもテニスの王子様を読んで自分もこうなりたいと思ったのがきっかけです。笑
現在、大学では趣味でソフトテニスを続けています。そんなテニス少年だった僕ですが、最近は他の趣味にも没頭しています。キャンプ、筋トレ、スノーボード、釣り、とうアウトドアを中心の趣味を持ち合わせています。どの趣味もまだ未熟ものなのですがこのブログと共にどんどん成長していきます。
こんなどこにでも居そうな大学生のブログですが毎日投稿を目指して頑張っていきます。